From.吉田愛
家族や社員の行動に腹が立って仕方ない。
あの人には悪気があるとしか思えない。
そのような、ある種決めつけにも似た恨みの想いが湧くことが人にはあります。
そんな時には、その人から距離を取るなど、具体的に取れるアクションをすると思います。
しかし、気持ちにおいてはどうでしょうか。
特に、これまでの出来事に対する恨みの思いや決めつけにも似た思いはなかなか拭えません。
そんな時に、自分の気持ちを軽くする捉え方があります。
それは、過去の出来事を振り返る時、または将来の予想を語る時に感じる「違和感」に関係しています。
例えば、昔友人に送った自分のコメントを見て、『格好つけてるなぁ。』と感じたり、今の将来の目標が現実と違いすぎて『やっぱり馬鹿げてる。』と感じる感覚のことです。
そのような時、現実とのギャップから自分が恥ずかしくなったり、反省したりします。
時にはひどく落ち込んで、長い時間抜け出せなくなることもあります。
それはある種、人への恨みや決めつけと似ていると私は思うのです。
なぜなら、どちらも時間が経てばその出来事の捉え方が変わることが少なくないからです。
つまり、「“今”下した判断は、どれほど重要なことだろうか。」と思うのです。
「過去や未来の自分」と「今の気持ち」とのギャップ、人への恨みや決めつけ。
これらはどちらも、「今の境地」と「“その時代”の自分の境地」の差から生じています。
私達は今の境地で過去の出来事や、将来の予想を立てています。
今の自分の状況を判断しています。
このパラダイム(見え方)、で『格好つけているなぁ。』とか、『これだけは許せない。』と判断しているのです。
しかし、当然ながらあなたは成長しています。
あなたの境地は変化しています。
パラダイムや境地が変われば、判断は変わります。
今下した判断は一時的でしかないということでしょう。
下した是非も、絶対的なものではありません。
いくら今立てた目標が馬鹿げていると思えても、5年後のあなたにとってはどうか分かりません。
過去に送った馬鹿げたメッセージが、当時の自分には全くもって妥当だったようにです。
腹が立つ同じ出来事に、10年後のあなたが出会ったら、どのようにその意味を受け取るでしょうか。
20年後のあなたが、50年後のあなたが出会ったら、どう評価するでしょうか。
きっと今とは違う判断を下すのではないでしょうか。
だから、極端な言い方をすれば、
今の自分の感覚は怪しいと疑ったほうがいいのではないでしょうか。
今の自分の境地が最高値じゃないと悟ったほうがいいのではないでしょうか。
今は「悪意としか思えない!!」と思っていることも、「今はそう思う」ということであり、その程度でしかないおそらくないのです。
今のあなたが誰かの行動を評価することとは、確定したものでもなければ、永久的な正解ではない。
今の自分の答えに、絶対的な意味はないのです。
そのように俯瞰して物事を捉えてみてください。
今感じている憎しみや自分を否定する気持ちが少し軽くなるのではないでしょうか。
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